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【ESL】English Café 520 ロサンゼルスの大通りWilshire Boulevardは、Gaylord Wilshire(ゲイロード・ウィルシャー)が由来

English Café 520(2015-09-15)です。

今回のお話は、ロサンゼルスの有名なストリートの名前の元となった人物Gaylord Wilshire(ゲイロード・ウィルシャー)についてと、NYのランドマーク的建物"The Flatiron Building"についてです。

が、今回はGaylord Wilshire(ゲイロード・ウィルシャー)についてだけ書きます。

今回はちょっと難しかったです。

ネット上に、日本語でのGaylord Wilshire(ゲイロード・ウィルシャー)に関する資料がないように見受けられるので、簡単ではありますが書いておきます。内容はDr. McQuillanの説明を元に書いてあり、私が調べた情報(地図など)を付け足してあります。

Gaylord Wilshire英語版Wikipedia

 

Wilshire Boulevard ウィルシャー大通り

Wilshire BoulevardのBoulevardは、大通りという意味でblvd.と略されることもあります。

ロサンゼルスの東西をつなぐ主要幹線道路のひとつです。

Wilshire Boulevard is one of the principal east-west arterial roads in Los Angeles, California.

Wikipediaより

wilshire_blvd01

 

ゲイロード・ウィルシャーの人生

1861年にオハイオ州シンシナティに生まれる。父親は資産家で裕福な家庭で育ちました。

 

社会主義に傾倒する

ハーバード大学に進学するも1年でやめてしまいます。その頃、アメリカの政治経済学者Henry Georgeの書籍“Progress and Poverty”(発展と貧困)に深い感銘を受け、社会主義者となりました。

この書籍に書いてあった主張は「アメリカに貧しさで苦しむひとがたくさんいるのは、一握りの人間がすべてのお金をコントロールしているからであり、その解決策となるのが社会主義である。」

Wikipedia英語版の“Progress and Poverty”

地元シンシナティに社会主義の団体をつくり、後年、団体代表者となりました。

 

貸し金庫業を始める

1880年代のはじめ、ウィルシャーは兄弟のウィリアムと共にサンフランシスコに引っ越しをしました。2人は貸し金庫業を始めますが事業はあまり上手くいきませんでした。

そんな折に、ウィルシャーはサンフランシスコで著名な法律家でありビジネスマンでもある男性の令嬢と乗馬に出かけ、急に暴れだした馬から令嬢を救い出しました。その代わりにウィルシャーは馬に蹴られてしまい、顔に約15センチもの傷を負ってしまいます。

著名な法律家と令嬢はウィルシャーの勇気ある行動にたいへん感謝し、友人達を紹介するなどしてウィルシャーの事業を支えてくれたため彼の事業は軌道に乗ることができ、利益も上げました。

 

不動産業参入

1884年、兄弟たちはロサンゼルスに引っ越しました。そして土地の値段が安かったため土地を購入し不動産業に参入しましたが、当時のロサンゼルスは人口がたった11,000人しかいなかったため事業は上手くいきませんでした。

1889年、ウィルシャーは社会主義者のHannah Owenと結婚します。その後、父親が死去したため約20万ドル(現在の価値で約5億円)の遺産を手に入れます。その遺産で彼は贅沢な暮らしをしますが、その暮らしぶりは社会主義者である妻との間に軋轢をもたらしました。

 

選挙に出馬、落選の憂き目を見る

同時期にウィルシャーは選挙にSocialist Labor Party(社会労働党)から出馬しますが、落選しました。

 

ロンドンでも選挙で落選

選挙後、ウィルシャーはイギリスのロンドンに引っ越し、ここでもイギリス議会選挙に立候補しますが、また落選していましました。

 

不動産業で成功!ウィルシャー大通りができる

この時点でウィルシャーは妻と離婚し、1895年にロスアンゼルスに舞い戻ります。その当時ロスアンゼルスの人口は5万人に増加していました。そこで彼は再び不動産業を始めます。

ウィルシャーは地方政府に「私の名前を道路につけてくれるなら、道路用の土地を提供しよう」と提案しました。それが現在もあるWilshire Boulevard(ウィルシャー大通り)です。

ウィルシャーは看板事業もはじめ、それは住人には大不評でしたが莫大な資産を彼にもたらしました。

 

ウィルシャーの知的なお友達

ウィルシャーは同時代において最も教養のあるビジネスマンのひとりで、その友人にはアメリカの作家Upton Sinclair(アプトン・シンクレア)や、イギリスの小説家であり脚本家でもあるGeorge Bernard Shaw(ジョージ・バーナード・ショー)などが名を連ねました。

 

出版事業はいまひとつ

その後ウィルシャーは出版事業もはじめ、社会主義者向けの新聞The Nationalistを発行しました。その後その新聞はThe Challenge、Wilshire’s Magazineと名前を変えていきます。

ウィルシャーはカナダに引っ越し、そこで出版事業を続けますが、この出版事業は少しの儲けも出さず、彼はとうとう出版事業をやめてしまいます。

 

金鉱事業もうまくいかず

1904年ウィルシャーはMary McReynoldsと再婚し、1907年にLucasという男の子を授かりました。

ウィルシャーは金を掘りだす金鉱山事業に乗り出しますが上手く行きませんでした。1916年頃には資金も底をつき、健康面でも問題を抱えていました。

 

健康ベルトも売ってみた

ウィルシャーは自分の病気を治すためのエレクトリック・ベルトを販売したりもしましたが、あまり儲けになりませんでした。

エレクトリック・ベルト(electric belt)画像検索結果

ウィルシャーは1927年に亡くなりました。

 

重要単語

political activist:政治運動家
socialism:社会主義
scar:傷跡
profit:利益
cheap:安い
lifestyle:ライフスタイル、生活様式
ardent:熱心な、燃えるような
billboard:立て看板、ビルボード
argument:議論、口論
folly:愚行、愚案
landmark:ランドマーク、目印となるもの
trendy:流行の、fashionable
regime:体制; 政権
regimen: (ダイエット・運動などによる)摂生,養生法,食養生
laugh:笑う
laughter:笑い声、笑うこと
to unveil:ベールを取る、秘密を明かす、初めて見せる
to reveal:秘密や隠されていたことを漏らす、明かす
to light up:火をつける、顔や目の表情が明るくなる

 

もうね、つかれた。

どなたかのお役に立てれば幸い。

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